バスケ日本代表選手として活躍されている原修太選手。
バスケワールドカップでも3ポイントシュートを決め、チームの勝利に貢献されましたね。
そんな原修太選手ですが、兄弟はいるのでしょうか?
バスケに限らずプロスポーツ選手の兄弟や両親などスポーツに関わっている人が多い印象です。
また原修太選手は、難病を抱えているので家族のサポートが必須だったのと予想されます。
そこで原修太選手の家族構成について調べてみたところ、父親は元バスケ経験者で厳しい人だったと情報もありました。
又、原修太選手がバスケを始めるきっかけとなったのは姉の影響?という点についても、兄弟構成と共にお伝えしていきたいと思います♩
原修太選手の出身校についても、掛布雅之さん(元プロ野球)や玉田圭司さん(プロサッカー選手2010FIFAワールドカップ日本代表)らが卒業したあの有名校だったので、ご紹介したいと思います!
原修太の兄弟について
原修太の父母について
原修太の出身高校
ぜひ、最後までご覧ください!それでは早速参りましょう♩
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原修太の兄弟について
原修太選手の兄弟は、姉と妹の三人兄弟です。
姉:2歳上
原修太選手
妹:(不明)
女兄弟に挟まれ、男兄弟はいないのです。
原修太選手がバスケを始めたきっかけは姉がミニバス(高根台MBC)で練習をしていたこと。
原修太選手が幼い頃、姉のミニバスを観に行く機会が多くありました。
その時、ミニバスのコーチに誘われたことがバスケットを始めるきっかけとなったとインタビューで答えていました!
当時、原修太選手は小学3年生。楽しくバスケの練習をスタートされたのです。
原修太選手のプロフィール
原修太選手の情報を簡易的ではありますが、まとめてみました!
・生年月日:1993年12月17日
・年齢:現在29歳
・身長:187cm ・体重:96kg
◎バスケ選手にはあまりいないマッチョタイプでガタイが良いと言えますが、しっかり動けて評価を上げている選手です。
原修太の父母について
原修太選手のご両親は、どちらもバスケ経験者です。
原修太選手の両親の詳細については情報がなかったのですが、調べていくうちに感じたことは”父親が厳しい方だった”ということがわかりました。
どうしてこのように感じたかというと、両親も昔バスケをしていた方のようで、原修太選手の指導にあたっては厳しく助言していたとインタビューで話していたからです。
母親はどちらかというとメンタル面のサポート役として、優しく接してくださったそうです!
実は原修太選手、飽き性な部分があるようで…
水泳や習い事をしても、すぐに飽きてしまってどれも長続きしなかったのです。
その為、バスケを始めた原修太選手ではありましたが、両親からは「どうせ長続きしないだろう」と厳しい言葉があり、バスケを始めた際にはシューズも買ってもらえず、最初は上履きでバスケをしていたと話されていました。
ですが原修太選手は折れませんでした‼️必死でバスケに打ち込んで両親を見返そうと頑張ったそうです。
両親が原修太選手に厳しい助言をしていたのも小学校までだったようで、中学校になる頃にはなくなったそうです。
恐らく、”ちゃんと厳しく言っても続ける意志があるのか”試してみたのではないでしょうか?
親としては、夢中になって続ければいずれ自分の夢となり、厳しい現実を突きつけられることはそう遠くないことが分かっている中で確かめておく必要があると感じたのではないでしょうか?
親としてのこの気持ち、分かる方もいるのではないでしょうか?
原修太の出身校
原修太選手は、縁を大切に学校を選んできました。
これまで歩んできた経歴をまとめてご紹介したと思います!
中学校
原修太は、高根台第三小学校から高根台中学校へ進学しました。
この高根台中学校は高根台第三小学校からエスカレーター式で進学できる中学校です。
原修太選手が通う中学校なので、バスケの強豪校か気になりますが、強豪校というわけではなさそうです。
中学校を選ぶ決め手は、バスケではなく、”地元の学校だったから”という理由の可能性が高いですね!
高校
原修太選手の出身高校は、習志野高校です。
原修太選手が、志野高校を選択したきっかけはおじいちゃんでした。
原修太選手は、とてもおじいちゃんっ子で、よく一緒に過ごしていました。
おじいちゃんの麻雀仲間が習志野高校のバスケットのコーチをしていたこともあり、習志野高校へ足を運ぶ機会も多かったのです。
また、おじいちゃんが亡くなった時、習志野高校の生徒や先生方が来たことが印象的で、頭の片隅に”習志野高校”という存在がありました。
このことがきっかけとなり、志野高校に進学することを選択されました。
また当時の習志野高校は、野球・サッカー・バレーでは強豪高校でしたが、バスケは周囲の高校に比べて弱い方だったそうです。
高校最後の大会では予選への参加権利もなく、大会に出場もできずバスケ部引退となりました。
バスケ部を引退してからの原修太選手はアルバイトして過ごしました。
しかし、過去に千葉県予選で対戦した相手コーチに、「お前は勿体無いからもう少し続けなさい。1部だと観てもらえる機会が少ないから2部の大学を探すと良い」とアドバイスをもらい、バスケを続けるため2部の大学を探しました。
当時原修太選手は、バスケの為に大学へ進学することは考えていませんでした。
大学
原修太選手は国士舘大学へ進学されました。
国士舘大学ではバスケをするために、自分が活躍できるチームを選んでの選択でした。
大学を選ぶ際、様々な大学が集まる説明会に参加しました。
その説明会で、体育館入り口にすぐ「国士舘大学」のブースがありました。
「あ、聞いたことある!」ってだけで足を止めて説明を聞き、他の大学説明は聞かずにそのまま進学に進んだと話されていました。
バスケ部に所属し、1年生の頃から試合へ出場、シューターとして活躍していました。
卒業後
大学卒業後、千葉ジェッツふなばしに入団し、9試合以上出場しています。
入団2シーズン目の序盤に怪我をしたことで戦列を離れることにはなりますが、復帰後は40試合に出場し、天皇杯では優勝を経験しています。
2019年にはTOKYO DIMEとの正式契約を発表しています。
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まとめ
今回は「原修太の兄弟や父母など家族もバスケ一家?出身高校がど学歴まとめ!」としてご紹介しました。
原修太選手は、難病”潰瘍性大腸炎”を患いながらも、プロとして活躍しています。
原因は解明されておらず、ストレスの可能性が高いと言われ、原修太選手本人も「プロになってからの蓄積したプレッシャーなどからくるストレスが原因かもしれない」と話していたそうです。
元々病気を患う前から社会貢献活動をしたいと個人的に思っていたそうですが、ライバルチーム琉球ゴールデンキングスの岸本隆一選手も2020年に発症し、2人は共同でチャリティーTシャツを販売する等の社会貢献活動も行っているそうです。
”自分と同じような病気で苦しんで知る人に対し、勇気を与えられる存在になりたい”と考えるようになったそうです。
子供たちが原修太選手自身の体格を見て、「大丈夫なんだ」と安心してくれることがモチベーションを高めることにもなるとコメントをしてました。
誰にでもできることではないですよね…
家族の支えもありながら、自分の運命を受け入れて強い意志を持って戦っていく真っ直ぐな方なんですね。
今後の活躍も楽しみです!この記事をきっかけに、原修太選手を一目観に行ってみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました!