近江高校サッカー部の監督を務める前田高孝監督!
試合中の表情を変えずに試合分析を行い、チームの勝利につながるよう指導されています。
そして前田高孝監督は、38歳という若い監督で驚いた人も多いのではないでしょうか?
前田高孝監督がどんな経歴なのか気になりますが、なんと20代のことろはJリーグのチーム「清水エスパルス」に所属し、プロサッカー選手だったのです。
ではなぜ、プロ選手を引退されてしまったのか、これまでの経歴も紹介していきたいと思います。
この記事は「前田高孝(近江高監督)の経歴がすごい!元プロ選手で海外留学も!」として紹介していきます。
■前田高孝(近江高監督)の経歴
■前田高孝(近江高監督)は元プロサッカー選手
■前田高孝(近江高監督)は海外留学していた
では早速みていきましょう!
前田高孝(近江高監督)の経歴
前田高孝監督の経歴をみてみましょう。
前田高孝監督は近江高校のある滋賀県出身の監督です。
小学校
前田高孝監督は長浜市立虎姫小学校出身です。
地元の小学校に通い、サッカークラブ「虎姫SS」に入団します。
中学校
前田高孝監督の出身中学校は、近江兄弟社中学校。
地元の中学校には進学せず、少し離れた学校に通われます。
両親が学校教師ということもあり、私立の中学校を選択されたのかもしれません。
高校
前田高孝監督は高校時代はサッカー強豪校の「滋賀県立草津東高等学校」に入学。
サッカー部の一員としてチームの勝利に貢献されます。
1年生:第80回全国高等学校サッカー選手権大会出場
3年生:長崎ゆめ総体出場
高校3年生の時に静岡県で開催された国民体育大会に出場した際にスカウトの目にとまり、2004年に清水エスパルスに入団することが決まりました。
サッカーの才能ももちろん、スカウトのメニ止まるほど魅力ある選手だったのでしょう。
前田高孝(近江高監督)は元プロサッカー選手
清水エスパルスに所属しることが決まった前田高孝監督。
2004年に入団したすぐ2ヶ月後、2004年6月、Jサテライトリーグの試合中に膝を負傷してしまいます。
この怪我は「前十字靭帯断裂」、全治6か月に及ぶ大怪我で、そのまま出場機会がないまま契約期間が終了してしまいます。
アルビレックス新潟
清水エスパルスを退団後、アルビレックス新潟に在籍します。
このアルビレックス新潟はシンガポールリーグだったため、シンパポールに渡りプレーされます。
MIOびわこ
シンガポールから帰国し、地元滋賀県のサッカーチームJFLに所属する「MIOびわこ」に在籍しました。
MIOでサッカーをプレーされますが、サッカーだけでは生活ができず、アルバイトをしながらサッカーを続けられます。
前田高孝(近江高監督)は海外留学していた
前田高孝監督はMIOびわこを退団後、ドイツに渡ります。
昔からの夢だったのかもしれませんね。
しかし、自らドイツへ渡ったため、所属チームは決まっていません。
語学学校でドイツ語を学びながら、クラブの入団テストを受験し所属チームのセレクションを受けます。
2007年7月カッセル市内にある「FSVデレンベルク」に入団
2008年3月膝の負傷が原因で現役を引退
サッカー選手を引退し、日本に帰国。
まとめ
この記事は「前田高孝(近江高監督)の経歴がすごい!元プロ選手で海外留学も!」として紹介しました。
これからの近江高校のサッカー、そして前田高孝監督がどんなサッカーを采配されるのか楽しみですね。
最後までお読みくださりありがとうございました。