パリオリンピックでメダル獲得を目指すUー23日本代表が、チーム強化のために2024年6月にアメリカ遠征を行います。
そのアメリカ遠征のメンバーに選ばれているのが、J1FC町田ゼルビア所属の藤尾翔太選手です。
パリオリンピック前最後の強化日程にあたるアメリカ遠征に選ばれた藤尾翔太選手は、パリオリンピック本番のメンバーに選ばれる可能性が高いでしょう!
藤尾翔太選手ですが、所属チームである町田ゼルビアでの試合中のプレーが物議を呼び、良い意味でも悪い意味でも注目を集める形となってしまいました。
そんな、注目度の高い藤尾翔太選手の出身学校やサッカーの経歴について気になるサッカーファンも多いでしょう!
藤尾翔太選手は、大阪泉市立光明台中学出身で私立大阪学芸高校を卒業しています。
中学までは地元のクラブチームリップエースジュニアユースに所属し、プロサッカー選手になるという目標の為に高校からはJ1セレッソ大阪のユースチームでプレーしていました。
この記事では、藤尾翔太選手の学歴やサッカー経歴、実力について詳しくまとめていきます。
- 藤尾翔太 出身中学校は?
- 藤尾翔太 出身高校は?
- 藤尾翔太 学生時代のポジションは?
藤尾翔太の出身中学は光明台
大阪府和泉市出身の藤尾翔太選手は、地元である和泉市立光明台中学校出身です。
和泉市立光明台中学校は公立中学校なので、藤尾翔太選手がこの中学校に行きたいという事で入学したのではなく、家からの学区内という事で光明台中学校に通っていいました。
中学生時代の藤尾翔太選手は、サッカー部には所属せず、地元街クラブであるリップエースSCジュニアユースに所属していました。
小学生時代からリップエースSCでサッカーを続けていた藤尾翔太選手ですが、地元では有力選手として有名だったようで、選手権常連の私立高校や多くのクラブチームから声がかかっていたようです。
藤尾翔太の出身高校
藤尾翔太選手は、私立大阪学芸高校出身です。
大阪学芸高校は私立高校で、特技コースという芸能やスポーツで活躍する学生を受け入れる学科がある高校です。
芸能でいうと卒業生には、なにわ男子やNMB48のメンバーというように関西で活躍するアイドルが多く、スポーツ面では、WEリーグセレッソ大阪ヤンマーレディースと業務提携を結んでいたりと幅広い分野の生徒が在籍しています。
高校からセレッソ大阪の下部組織であるセレッソ大阪Uー18に所属していた藤尾翔太選手もこの特技コースに在籍していて、セレッソ大阪ヤンマーレディースだけではなく、セレッソ大阪Uー18とも業務提携を結んでいる可能性が高いです。
大阪学芸高校にもサッカー部がありますが、クラブチームに所属している選手は部活動に参加できないので、藤尾翔太選手はサッカー部の所属ではありませんでした。
中学時代からプロサッカー選手になる為に高校では、Jクラブの下部組織にはいることを目標としていた藤尾翔太選手は、高校2年生の時に2種登録でセレッソ大阪とプロ契約を結び、目標としていた最短でのプロ入りを達成することが出来ました。
藤尾翔太の学生時代ポジションや実力
ここでは、藤尾翔太選手の学生時代のポジションや実力について詳しくまとめていきます。
幼少期~小学時代
藤尾翔太選手は、父親が阪南大高校でキャプテンを務め、4歳年上の兄が、選手権常連校である立正大淞南高校で選手権出場経験があるというサッカー一家で育ちました。
4歳年上の兄が先にサッカーを始めていたので、幼少期から兄の影響でサッカーボールを蹴って遊ぶことが多く自然とサッカーを始める環境となっていました。
そんな、藤尾翔太選手がサッカーを本格的に始めるきっかけとなったのが小学3年生の時で、兄も所属していた育成に定評がある街クラブリップエースSCでサッカーを始めます。
藤尾翔太選手は、早い時期からFWとしてプレーをしていたようで、元々持っていた才能があり、1人でゴールまでもっていってゴールをきめることが簡単だったようです。
小学生時代からゴールを決める楽しさを知った藤尾翔太選手は、FWとして戦っていくことを決めます。
中学時代~高校時代
中学に入学した藤尾翔太選手は、小学生の時と同様リップエースSCジュニアユースに所属します。
小学生の時には、何も考えず個の力でゴールを量産してきた藤尾翔太選手でしたが、中学に入学すると上級生との体格差や11人制になりコートが広くなることで個の力だけではゴールを決めることが難しくなっていったようです。
恵まれたスピードや抜きんでたテクニックがあるとは思っていなかった藤尾翔太選手は、中学生時代にDFラインの背後を取る動きやセンターバックやボランチが出てきた時に自分がどう動けば得点につながるかを考えていました。
そういった中で中学時代はチームで最もゴールを決め、周囲のチームメイトが藤尾翔太選手のスタイルを理解し、パスを供給してくれていたおかげで簡単にゴールを決めることが出来ていました。
そんな藤尾翔太選手は、地元では有名な選手であったため、数多くの強豪私立高校やJクラブの下部組織から声がかかり、自らの目標であるプロ入りへの最短距離のため、セレッソ大阪Uー18に入団します。
入団当初の高校1年生の頃は、中学まで所属していたリップエースSCジュニアユースと違い、長年積み重ねてきた信頼関係からくるパスやサポートがなく、戸惑いがあったとの事です。
FWとしてプロ入りを目指している藤尾翔太選手でしたが、セレッソ大阪Uー18では中学までの頃とは大きく変わり思うようにゴールを奪うことが出来なくなります。
セレッソ大阪Uー18までになると、周りのレベルが一気に高くなり、時にはJ1でも強豪チームであるトップチームでの練習に参加するというような環境でのプレーをすることとなり、高校3年間は悩みながらプレーをしていました。
2種登録~プロ入り後
2018年、高校2年生の時に藤尾翔太選手は、当時J3にあったセレッソ大阪Uー23チームへ2種登録選手として参加することとなります。
藤尾翔太選手は、J3といえどもプロの舞台で試合をすることで、早いうちからプロのプレースピードに慣れることが出来て良かったと語っています。
2018年から2020年までJ3セレッソ大阪Uー23で試合に出場してきた藤尾翔太選手は42試合に出場し、10得点をあげるというプロの世界でも通用するという自信をつける機会になった時間となりました。
高校卒業後はセレッソ大阪とプロ契約を結んだ藤尾翔太選手でしたが、J1でも強豪チームのFWのポジション争いは激しく、中々出場機会には恵まれませんでした。
出場機会に中々恵まれない藤尾翔太選手は、出場機会を求めて、J2水戸ホーリーホック、徳島ヴォルティス、FC町田ゼルビアへと育成型期限付き移籍で武者修行をしていきます。
水戸ホーリーホックでは22試合に出場し8得点、徳島ヴォルティスでは30試合で10得点とJ2ではコンスタントに得点を決めるという活躍を見せ、セレッソ大阪へ復帰するもまた出場機会に」恵まれず、転機となるFC町田ゼルビアへと移籍します。
若い力と積極的な補強を行ったFC町田ゼルビアは2023シーズン圧倒的な成績でJ2優勝を飾り悲願のJ1昇格を達成します。
そのチームの中心選手として藤尾翔太選手は、33試合に出場し8得点とチームの昇格に大きく貢献し、2024シーズンにはセレッソ大阪から完全移籍の形でFC町田ゼルビアに移籍します。
J1で初めて主力として迎えた2024シーズンは、ここまで13試合に出場し6ゴールを決める活躍を見せ、FWとしてJ1でも通用するという自信を深めています。
また、パリオリンピック出場を決めたUー23日本代表にもコンスタントに召集され、最終登録メンバーを選考するアメリカ遠征にも召集されています。
まとめ
ここまで、Uー23日本代表候補でJ1FC町田ゼルビア所属FW藤尾翔太選手の出身中学、高校、学生時代のポジションや実力についてまとめて来ました。
大阪府和泉市出身の藤尾翔太選手は、学区内にある中学校の和泉市立光明台中学校出身です。
部活動には参加せず、リップエースSCジュニアユースという育成に定評がある街クラブでサッカーをしていました。
中学生時代までは、特別な事を考えなくてもゴールを決められると自分でも語っていて、FWとしての才能をいかんなく発揮していました。
高校に入学する時には数多くの私立強豪校から声がかかりましたが、プロへの最短距離を考えて、J1セレッソ大阪の下部組織セレッソ大阪Uー18に入団します。
高校に関しては、芸能やスポーツでの活動に理解がある私立大阪学芸高校特技コースに入学し卒業しています。
大阪学芸高校は、WEリーグセレッソ大阪ヤンマーレディースと業務提携を結んでいて、セレッソ大阪Uー18に関しても結んでいる可能性は高いです。
大阪学芸高校は、芸能活動に力を入れている生徒も多数いて、なにわ男子やNMB48のメンバーも卒業生にはいます。
一方、サッカー面では、今まで街クラブでやってきたことと変わらずできると思っていた藤尾翔太選手でしたが、周囲の急激なレベルアップとトップチームへの練習参加で思うようなプレーが出来ず、高校3年間は悩みながらプレーしていたようです。
それでも高校2年生の時には2種登録選手として、J3でプレーしたり、プロのスピードに慣れ、J2チームで揉まれてきたおかげで現在Uー23日本代表に選ばれたり、J1で上位につけているFC町田ゼルビアの欠かせない選手としてブレイクしています。
パリオリンピックやJリーグの舞台で今後も活躍が期待される藤尾翔太選手に注目していきたいですね!
- 藤尾翔太 和泉市立光明台中学校出身
- 藤尾翔太 私立大阪学芸高校特技コース出身
- 藤尾翔太 サッカーを始めてすぐから現在までFWとしてプレーしていて、小学、中学時代までは何も考えずにゴールを決めれていた